2023-03-12 入間の乱 百花繚乱 2日目b 愛宕神社

旅行

埼玉県入間市で行われる入間の乱 百花繚乱に参加した。これはその2日目の日記である。店番を妻の友人に任せて18:00まで自由時間を得たので、初めて訪れる入間の地を歩く事にした。

入間を歩く

故きを温ねる公園の探索を終えて埼玉県道226号を歩く[GoogleMap]。上に何も羽織っていないので微妙に肌寒い。

スリラチャの赤備え

バス通りを歩いていると危険な色彩の自販機が置かれていた。スリラチャの赤備え[公式]という調味料のようだ。

公式サイトの説明を見ると、「アジア発祥、アメリカ育ちのニンニク仕立てのホットソース」との事である。ニンニク入りというのは旨そうだが肛門が破壊されそうなので写真を撮るだけにした。

機動警察パトレイバー 上海亭

入間の乱の演し物の一つとして、機動警察パトレイバーに登場する(らしい)上海亭のキッチンカーが出ていた。パトレイバーはオタクの教養として数年前に原作を読んだが余り、と言うかほぼ内容を覚えていない。

写真供養

何枚かネタにならない写真を撮ったのでここで纏めて供養しておく。

それぞれお洒落な車止め、懐かしい赤ポストと煙草の自販機、間伐材を利用したはしらベンチである。普段の運動不足から少し歩いただけで既に疲れていたので、はしらベンチで数分休憩した。

愛宕神社 参道

愛宕神社 入間市

フラフラと頼りなくカーソルが揺れるGoogleMapを見ながら緩やかな坂を登って進んで行く。山を切り拓いた場所なのか室蘭のように坂道が多い。その途中で写真の看板が現れた。これは是非とも寄り道せねばなりますまい。

Wikipediaを見るとここの愛宕神社は1000年以上の歴史があるとの事である。

蚕影神社

蚕影神社
蚕影神社

写真は愛宕神社の境内社である蚕影(こかげ)神社。珍しい名前だ。名前からして養蚕(ようさん)の蚕を祀ったのだろう。

蚕影神社御由緒

蚕影神社

神社の御由緒を読むのが好き。文字起こししたいが手動でやるにはちょっと分量が多いので、その内AIにやらせようと思う。Wikipediaの記載内容を以下に転載しておく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%85%A5%E9%96%93%E5%B8%82)

お焚上げ場所

蚕影神社

境内にはこのようにお焚上げゾーンも用意されていた。

愛宕神社 入間市 参道

愛宕神社 入間市

愛宕神社正面の参道(先程の看板の参道から入ると蚕影神社に出る)に回って写真を撮っていると、お年寄りの集団がガヤガヤと階段を登って行った。旗を持ったガイド役がいたので観光ツアーか何かだろうか。

市指定有形民俗文化財 志茂町屋台

志茂町屋台
志茂町屋台
志茂町屋台

志茂町屋台

市 指 定 有 形 民 俗 文 化 財
指定年月日 昭和五十三年十二月二十一日

ふーん……と思って看板を見ていると、左手に格納庫があった。でかかった。入間市のサイトにも説明がある。

芭蕉翁句碑

芭蕉翁句碑

ひらひらと あぐる扇や 雲の峰

松尾芭蕉の俳句の石碑って割とどこにでもあるよな~と思って写真を撮った。その時はこの地に縁のある句なのであろうと漠然と思い込んでいたが、日記を書きながら調べてみると全然違った。いや別にここに建てる意味無くない?石碑そのものは古いもののようだが、昔の人も「なあ~、おれらの地元にも芭蕉様縁の石碑欲しくね?」みたいな話をしてたのかな。

参道

愛宕神社 入間市
愛宕神社 入間市
愛宕神社 入間市

暫くすると前述したお年寄りの集団も立ち去ったので、写真を撮りながら階段を登る。参道の入口には、切り株の上に屋根を被せて祀った面白い物体があった。初めて見る。

愛宕神社 入間市

愛宕神社御由緒

愛宕神社 入間市

御由緒

神社の創建は、この地域の集落発生と共になされ、天照大御神を祀り、産土神として崇められた。その後正平一六年に南朝の忠臣・新田義興公が合せ祀られた。

正平一六年は西暦1346年の事である。創建は更にその前、という事らしい。Wikipediaに概要がある。

愛宕神社 拝殿

愛宕神社 入間市
愛宕神社 入間市

拝殿正面。鈴で隠れてしまっているが神額には「愛宕山」とある。

拝殿から参道

愛宕神社 入間市

この写真は拝殿から参道を撮ったもの。朝の神社は静かで落ち着く。

灰皿が備わっていたので一服し休憩する。入間市は喫煙者を迫害しない優しい街だ。

狛犬

そして狛犬。可愛い。台と像の年代が違う気がするが、写真を撮り忘れたので確認できない。

建武中興六百年記念碑

建武中興六百年記念碑

御神木
樹齢六百年余
周園二十尺余

境内には建武中興六百年記念碑がある。刻まれた漢字がこの通りなのかは余り自信が無いが、多分これで合っているだろう。建武中興とは建武の新政(西暦1333年)なので建てられたのは1933年か?100年近く前だが比較的新しいな。

神徳照明 明治神宮宮司 高澤信一郎の碑

こちらは明治神宮宮司だった髙澤信一郎の碑らしい。年代的には先の建武中興六百年記念碑と同じ頃だろうか?もう少し前?帰宅後に日記を書く際に、色々調べ物をして知見を深めるのが楽しい。だから余計に時間が掛かる。

新田義興公 十三塚

先程は何故ここに建武中興六百年記念碑が?と思ったが、建武の新政→後醍醐天皇→新田義興公繋がりだった。なるほどやっと理解できた。歴史は繋がっている。日本史は苦手だったが最低限の勉強はしておくものだなと痛感した。

右の写真の御由緒には『足利基氏の家来等により、多摩川下流の「矢口の渡し」で、義興公と従者十三人の勇士と共に謀殺された』とある。つまりこれは新田義興公と共に謀殺された十三人の勇士の霊を慰める塚だ。矢口の渡しは自宅から近い。というか昨日車で近くを通ってきた筈である。

新田義興公 首塚

そしてこちらは拝殿に向かって右側にある新田義興公の首塚である。御霊信仰にあたるのだろうか。

こちらの首塚が先程の十三塚に比べて比較的新しく見えるのは『義興公の胴体は、大田区の矢口の渡し近くの新田神社「胴塚」に埋められています。従者は神社周辺に埋められ、十三士の塚が散在したが、都市化の波で貴重な塚が消え風化を憂慮して「十三塚」をこの地に移設した。』との記載の通りであろう。

新田神社もIngressをやっていた大昔に自転車で行った事があるような……気がする。

相殿

こちらは相殿(あいどの)。神額には「奉納 日枝神社」とある。

相殿の隣にはかつて手水舎で使われていたのであろう巨大な石桶が置かれている。刻まれた文字は読み取れず。

初代首塚の松

最後に初代首塚の松。伊勢湾台風の際に枯死したらしい。

拝殿・相殿

改めて拝殿・相殿の別カットでの写真を撮って愛宕神社を後にした。たまたま立ち寄った神社だったが歴史があり堪能した。古いだけで有難がるというのもおかしな話だが、歴史があるものはそれだけで価値があると思っている。

(続く)

タイトルとURLをコピーしました