これは2023-05-28に岩手県北上市[GoogleMap]にある母の実家へお墓参りに行った際の旅日記だが、書き始めた今は2023-09-27であり実にほぼ4ヶ月が経過している。カメラ代わりのiPhoneからPCに写真をコピーして日記を書く準備を整えた後、手を付けられずにずっと放っておいてしまっていた。前日2023-05-27の旅日記は直ぐに書いたのに何故こんなに間が空いてしまったのだろう。理由は単純である。面倒だったからだ。人間が持つ最も強い感情は面倒臭いだとおれは常々思っている。人生とは絶え間なく襲い来る面倒臭さとの戦いであると言える。
やや大袈裟な表現になるが、ここ4ヶ月の間おれはずっと「あの時の日記を書かなくて良いのか?」と自問自答しながら過ごしてきた。そもそのこの個人的なブログ(今や博物館に飾られそうな言葉だ!)は自己満足から始まって自己満足で細々と続けているものである。つまり端から端までおれのものであり、書いても書かなくても他人に対して何ら責任を負うものではない。だからこそ自分を納得させなければならないと考える。
仕事で現在のプロジェクトに参画してからもう3年が過ぎたが、顧客業務の都合上、お盆の期間に夏休みを取れる人は少ない。大抵は時期をずらして9月から10月にかけてポツポツと休む事になる。今回おれは1週間後の10/6から休みを取り北海道に帰省する予定だが、遅すぎる夏を満喫する前に自分を納得させなければならぬと思った次第である。おれは面倒臭さを打ち倒す。
仙台の朝
前日は宮城県仙台市で開催されるみちのくコミティア10[公式]に参加するために早朝から仙台に移動し、イベントを終えて相鉄フレッサイン仙台[公式]に宿泊した。→前日の日記。
朝食
08:30頃に起床し朝飯を食べに食堂へ行く。妻の付き添いでハンドメイドイベントに参加する際の常として、翌日にイベントがない限りは夜の内に帰宅してしまうため、朝こんなにゆっくり過ごせるのは珍しい。
名古屋に泊まる際にはいつも相鉄フレッサイン名古屋新幹線口[公式]利用しているが、ここ相鉄フレッサイン仙台の朝食はビュッフェ形式であり料理も大変旨かった。旨そうに見えないのは写真が悪いのである。昨夜は牡鹿半島 朝市店[公式]で鱈腹食べたが朝飯も貪り食った。満腹だ。仙台の飯は旨い。
朝の仙台
部屋に戻って身支度を整える。今日はこれから北上まで移動して墓参りをし、その後は横浜の自宅に戻る必要があるので慌ただしい一日である。もっと東北でゆっくり過ごしたい気持ちはあるのだが、犬に留守番をさせているのでこれは仕方が無い。
窓から眺める朝の仙台は曇天であった。写真の右肩に何が写り込んでいるがこれは網入りガラスの網である。
北上へ向かう
仙台駅まで歩き新幹線ホームへ向かう。10:50のやまびこに乗るので時間的にはかなり余裕がある。仙台駅の新幹線の駅のホームには人道的設備である喫煙所が設けられていたのでありがたく飛び込んだ。
前述した通り岩手県北上市は母の生家である。小さな頃は夏休みになると家族でおよそ1週間程度北上に滞在するのが我が家の恒例行事であった。室蘭からフェリーに乗って八戸まで移動し、そこから更に北上まで車を走らせるのだが、午前3時に起こされて父の運転する車で室蘭フェリーターミナル[公式]まで行くのはゾクゾクするような非日常感があった。小学生の頃はそんな時間まで起きているのは許されなかったし起きている事もできなかった。言わば存在しない時間だ。フェリーターミナルに向かう車の中で母が臙脂色をした象印の魔法瓶から熱いお茶を飲ませてくれた事や、フェリーの油臭い駐車場で車から降りた事は当時から既に40年近く経った今でも断片的に記憶に残っている。だが、八戸港で降りた後の事となると途端に記憶が怪しくなる。きっと車で寝ていたのだろうと思う。父もよく事故を起こさずに運転できたものだ。
おれが最後に北上を訪れた記憶を思い出すには2006-04-30まで遡らなければならない。実に15年以上前だ。従姉妹の結婚式に参加するため、結婚したばかりの妻と一緒に訪れたのが最後である。従姉妹には毎年年賀状を出していたが、今年こそは、今年こそはと思いながら、それ以来ずっと来られずに日々を過ごしてしまった。月並みな表現だがその事実が喉に刺さった小骨のようにずっと引っ掛かっている。更には2021-07-01には母方の祖母が亡くなったがコロナ禍の真っ最中であり、結果として葬式にも参加できなかったのである。そしてお墓参りにすら行けていない。
やまびこ
やまびこは定刻通り10:50に出発した。コロナ禍も落ち着いた(少なくとも我が国の為政者に於いては落ち着いた事にするよう決まったらしい)ので、新幹線オフィス車両のサービス終了を知らせる通知が置かれていた。2020-08-22には例によって妻のイベントのお供で大阪に行ったのだが、その際に乗った新幹線は異常なまでにガラガラであり、おれが乗った車両には自分を含めて3人しか乗っていなかったと記憶している。そのような状況下で各社は生き残るために試行錯誤しており、この新幹線オフィス車両という珍奇なサービスもその一つだろう。その頃に比べると既に隔世の感がある。
2023年もこれまでと同じように「行かなければならないが、どうしてもその踏ん切りがつかない」という気持ちが悪い宙ぶらりんの状態のまま終える事になるのだろうと漠然と感じていたのだが、前述したみちのくコミティアが仙台で実施される事を受けて状況が動き出した。
その名の通り、みちのくコミティアは東北地方で開催される催しである。2021年におれが本イベントに参加した際には会場としてビッグパレットふくしま[公式]が選ばれたので、その時は車を借りて福島県にある星の村ふれあい館[公式]に前泊した。あの時は10:00頃に横浜を出発して16:00過ぎに宿に到着した記憶がある。目一杯高速を使ってもかなり時間がかかる。一口に東北地方と言っても非常に広く「福島に行ったからついでに岩手に寄ろう」と気軽に言えるような距離感ではないのである。北海道一日旅行に近い荒唐無稽な話だ。仮におれの一人旅だったならば面白がってチャレンジしてみたかも知れないがそうではない。家で犬に留守番をさせてきているので、更にもう一泊する事はできない。そのため、イベントが終わった後に岩手まで車を足を伸ばしてみるという計画は一蹴された。そもそも妻はおれが車を長時間運転する事を快く思わない。理由は「疲れて危ないから」との事である。ごもっともな意見だ。ぐうの音も出ない。
だが今回は車ではなく新幹線である。イベント当日の朝に仙台まで移動してみちのくコミティアに参加し、仙台で一泊して翌朝に岩手まで移動する。そしてお墓参りをしてその日の内に横浜に戻るというパーフェクトプランが立案された。吝嗇なおれは「まあ待ち給え。君、仙台から岩手までなら新幹線を使わなくても在来線で行けるのではないか?」と申し出てみたのだが、調べてみると思った以上に時間もお金もかかるので妻の言う通り仙台から新幹線を使う事になったのであった。
一ノ関
仙台から乗ったやまびこ[Wikipedia]は停車駅が多い。写真は一ノ関駅[Wikipedia]で停車した時のもの。この辺りはおれにとって全く未知の領域であり何の知見も持っていない。とは言え数日間旅行で訪れただけで得られる情報は高が知れている。実際にその街で暮らしてみないと本当の事は何も分からない。結局我々は自宅と職場の周辺の事しか知らずに生きて死んで行く。
北上駅
やまびこは定刻通り11:45に北上駅[Wikipedia]に到着した。駅メモ[公式]では当然の赤新駅(初めて訪れる駅)である。
前述の通り北上に来る際は父が運転する車が主だった。中学に上がってから母と一度訪れた事があったが、その時は花巻空港を使ったように記憶している。いずれにせよそれも遥か遠い記憶の底で今では触れる事ができない。北上駅で降りたのは、従姉妹の結婚式で妻と訪れた2006-04-30が最初で最後だったのではないか。
展勝地と鬼剣舞
1枚目の写真は展勝地(てんしょうち)[Wikipedia]である。北上市の公式サイトにもその記述がある。小さい時に北上に来るのはいつも夏休みだったため桜を見る事はなかったが、2006-04-30に来た際には家族でお花見に行った筈だ。
鬼剣舞(おにけんばい)[Wikipedia]は重要無形民俗文化財にも指定されているようだ。こちらは夏休みの時期に公開されたので夜に見物に行った記憶がある。2枚目の写真にある長い角(?)をバチバチとぶつけ合う所が印象に残っている。
(続く)