2023-10-09 北海道帰省5日目b 室蘭独り観光

旅行

2023-10-05から2023-10-10まで北海道の実家に帰省をしてきた。これはその際の旅日記である。

なお、昨年2022年10月に北海道に規制した際の旅日記はこちらから。→2022-10-20 北海道帰省

イタンキ浜

弟夫婦が帰り、これで予定されていた東室蘭での全てのイベントを消化した。東室蘭発17:22の特急北斗[Wikipedia]15号で新札幌駅[Wikipedia]へと移動する予定だったので、まだ少し時間は残されている。このまま出発の時間まで静かに実家で過ごす事もできるが、猫も納戸に隠れたままで相変わらず姿を見せない。奴はこのまま時間切れまで粘るつもりだろう。

という訳で、残りの時間は父に車を借りて独りで室蘭観光をする事にした。先日ジンギスカンを食べたビアキャビン[食べログ]の帰りに少し運転しただけなので、最初は慎重に慎重に運転する。首都圏に比べて北海道の道路は広々としており車も少ないが、それでも事故は常に起こり得るのだ。油断する理由にはならない。

イタンキ浜到着

真っ先にイタンキ浜[Wikipedia]へ行った。個人的にここは外せないのだ。無論、昨年の帰省時にも来た。

近くの舗装されていない駐車場に車を止めて砂浜へ向かう事にした。イタンキ浜は実家からはそこまで離れておらず、小学生でも自転車で来られる程度の距離である。頑張れば歩いても来られる距離だ。子供の時には休憩所のこの構造物が、自分にとっての世界の果てを示すしるしだった。ここはおれにとっての特別な場所なのだ。その事を確認するためにおれはここに来ている。

砂浜へ向かう

漂着した浮きが打ち捨てられている。
どこまでも真っ直ぐだ。
砂浜には誰の足跡もない。

海が出ており冷え込んでいたが、耐えられないまでの寒さではないので砂浜へ向かった。今回の帰省では真冬仕様のコートではなく一つ下のランクの薄手のコートしたのだが、流石に海では寒い。

イタンキ浜動画

波打ち際の動画を撮った。風が強く白波が立っている。ここはいつも波が荒い。

子供の頃は海水浴に来たが、室蘭で海に入れるまで気温が高くなるのは年に数日しかなかった。離岸流が発生する事もあり、海水浴場は2017年に閉鎖になったようだ。天気は良かったが他には誰の姿も見えず、砂浜にも足跡は残されていなかった。

波打ち際へ

もう少し波打ち際に近付いてみよう。遠く見える山が巨大な怪獣のようにも見える。防波堤の向こうには昨年行ったイタンキ漁港がある。山の中腹には伊丹来稲荷神社[Google]が祀られている筈だが、ここにお参りしたのは日記によると2013-08-15の事なので既に10年以上前の話になる。次の帰省では参拝に行かなければと思った。

そういえば昨年行った室蘭市民族資料館の常設展に、伊丹来稲荷神社の船神輿が展示されていたのを思い出した。こうして自分の中の知識が関連付けられて行く過程に静かな喜びを覚える。

イタンキ浜動画2

波打ち際のギリギリまで接近した動画。うっかり波に触れてしまうと悲しい事になるので気を付けた。

暫くこのまま心を無にして眺めていたい風景だったが、寒さが確実に侵食してきていたのでこれ以上の滞在は諦めた。ただでさえ横浜との気温差で体力が削られている。ここで風邪を引いてしまっては何もかもぶち壊しだ。

さらばイタンキ浜

休憩所のテーブルは見る影もないほど焼け焦げている。
水飲み場は生きており真水が出た。
さらばイタンキ浜よ。

最初の休憩所に戻って海を見ながら煙草を吸って次に行く事にした。次もまた来ます。

念のため書いておくが、ここには灰皿が整備されていないので吸殻は全て持ち帰っている。

御崎駅

イタンキ浜の後は室蘭本町の方へ行こうと思いそちらへ向かう。敢えて室蘭新道[Wikipedia]は使わずにのんびりと下を通った。

今回はその途中にあるJR北海道室蘭本線[Wikipedia]御崎駅[Wikipedia]に立ち寄る事にした。特に強い理由はなく「あっこの駅には一度も寄った事がないな」と思ったからである。

御崎駅 待合室

御崎駅は既に無人駅となっている。Wikipediaを読むと完全無人化されたのは2017年の事だった。壁に貼られている時刻表を見ると、1時間に1本程度は停車するようだ。ここで降りる場合、切符は箱に入れる形式だろうか。

御崎駅 ホーム

ああ~いいっすねこの雰囲気。
隣は妻と初めて会った母恋駅である。
駅舎よりも跨線橋の方が大きく見える。

改札は置かれておらず、待合室から直ぐにホームに出られる構造になっていたので出てみた。一日の平均利用者数は10年前から100人を割り込んでおり、無人駅になるのは仕方がないだろうと思う。大人は車を使う人が大部分だと思うので利用者は近隣の学生だけだろうか。おれも御崎駅で降りた記憶はない。

かつて御前水町[GoogleMap]に親族が住んでいたので、隣の母恋駅[Wikipedia]はもしかすると利用した事があったかも知れないが可能性は薄い。今はもう誰もいない。

御崎駅のバス停

バス停の待合所は北海道では見慣れたものだ。

バス停には道南バス・中央バスの両方の時刻表があるように見える。先へ急ごう。室蘭港で締めだ。

入江運動公園陸上競技場

こちらが正面だろうか?
沃 中江紀洋

室蘭港の近くには入江運動公園陸上競技場[Wikipedia]があるが、ネーミングライツは日本製鋼所[公式]が取得しており、現在は日鋼室蘭スポーツパークに改名されているようだ。5年間で年間550,000円との事である。相場的にこの額が高いのか安いのかは分からないが、自治体の財布だけでは経営が厳しい福祉施設に対し、どのような形であれ企業が金を出してくれるのは個人的には大変ありがたい事だと思う。そもそも今の室蘭市の財政でこんな巨大な箱物を維持できるのか?

なお、市立室蘭水族館[公式]は室蘭民報みんなの水族館となっているようである。中学生時代に室蘭民報で新聞配達のアルバイトをしていたのだが、彼らはかなりの業突く張りだったので正直言って良い思いがない。知恵のない子供を安く使って一体幾ら巻き上げていた事やら。今考えると本当に目眩がするような安さだ!子供は目先の小銭より学業を優先するべきであろう。

写真は中江紀洋[Google]によるオブジェ。恐らく1枚目の写真が正面だと思うが自信はない。入江運動公園陸上競技場の近くにはアスレチック公園があり親に連れてきて貰った記憶があるのだが、今は入れるかどうか分からない。時間が足りないのでその確認は次回以降にしようと思う。

陸上競技場外周

これのトラックは以前からあったかな?

何故この入江運動公園陸上競技場に来たのか?それはおれが高校時代に陸上部だったからである。足はそれなりに速かったが特にモテなかった。世代を間違えたようだ。短距離走はセンスと生まれ持った身体能力が最も重要であり努力にほぼ意味はない。大体他人より少しばかり足が早くて何の意味があるのだ?長距離走で得られた体力の方が余程人生の役に立つ。

陸上部には特に良い思い出はないが、最後まで結局辞めなかった。特に得られるものは無いなと思っても慣習で続けてしまうのがおれの悪い所だ。得られたのは「所謂『体育会系』ってこういうものなんだな」という益体もない所感だけである。だが、運動部に所属せずに高校時代を終えたならば、それはそれで後悔したのかも知れない。いずれにせよ全てはもう遠くに過ぎ去ってしまった。人生の再検証は不可能だ。

旧室蘭港北防波堤灯台

旧室蘭港北防波堤灯台

 この灯台は、昭和2年10月28日、第1期築港事業による南北防波堤の完成とともに設置され北防波堤で点灯しました。以来半世紀にわたって、内外の船の安全を見守り続け、多くの市民に白灯台として親しまれて来ました。

 しかし、昭和59年6月13日、航路拡巾により撤去されたため、かつて室蘭港の海側の玄関口に位置してた灯台を陸上側の玄関口である入江運動公園に電話ボックスとして復元し、港の歴史を後世に伝えることになりました。
 また、電話ボックス内部には、NTTの協力により、室蘭港の音・かもめの声なども流れるようになっており、防波堤上の灯台を体験することができます。

旧室蘭港北防波堤灯台の概要
● 構  造 鉄筋コンクリート造
● 最大直径 約 4m
● 高  さ 約10m

平成元年2月

この灯台は電話ボックスになっているようだ。現在も稼働しているかは不明である。

説明文をよく見ると、数字1桁は全角、数字2桁は半角になっているのが分かるだろうか。これは役所の慣例的なルールである。数字が2桁以上で桁が奇数の場合は「 nnn」のように半角スペースを入れて右詰めする。こうすると等幅フォントを使う限りはきっちり文字幅が揃うのである。役所に近い所の仕事をした際には、確かにこのような慣例があった覚えがあるな。ここでこのような現物を見るとは。

鋳鋼製スクリュー

鋳鋼製スクリュー

寄贈 函館どつく株式会社

 このスクリューは、長さ約 5m85cm・重さは約25,000kgあり、世界の海を回る貨物専用船に使用されていました。

 この級の船は28型船と呼ばれ、函館どつく室蘭製鉄所では、これまで30隻建造し、輸出しました。また、28型船の全長は 180mもあり、駐車場に向かう歩道脇の花壇の壁に、船首の位置を示すプレートがはめ込んであります。

 函館どつく株式会社のご好意に厚く御礼もうしあげるとともに、国際貿易港湾である室蘭港のシンボルとして後世に伝えたいと思います。

平成元年2月

こちらは函館どつく株式会社[公式]より寄贈された巨大なスクリューである。こちらのプレートについても数字の規則は先程と同じだ。おれはこの手の歴史的な展示物が堪らなく好きなので、ついつい説明文の写真を撮って文字に起こしてしまう。

フェリーターミナルへ続く道

道路が真っ直ぐなので思わず写真を撮った。室蘭フェリーターミナルにはこの後で行こうと思う。

改装中トラック

現在は改装中らしくトラックの白線はまだ引かれていなかった。調べてみると2024年の5月までを予定しているようだ。先程写真に撮った正面入口が閉ざされていたのもそのためかも知れない。可能なら中に入ってみたかったが無理そうだ。改修中でなくても一般開放されていたかどうか記憶が定かではない。

公衆トイレ

田舎なので公衆トイレがでかい。この場所ではなく小高い丘の上に建っていた気がするが記憶違いか。なお、ここのトイレは室蘭さわやかトイレ[公式]のNo.1であり、この室蘭市の文書[公式]には、全国グッドトイレ10」に道内から初めて入選、とある。柱に錆が浮いてしまっているのでペンキを塗り直して欲しい。

入江運動公園

腰掛けるのに良さそうな岩が配置されている。
焔 板津邦夫
燦 二部黎

先程から見てきた入江運動公園陸上競技場はこの入江運動公園[Wikipedia]に包含される。父が足繁く通っていた温水プールも同じく改装中のようだ。なお、昨日行った室蘭中島公園の室蘭市体育館は2022年にこちらに移設している。

室蘭フェリーターミナル

フェリーが入港している!

時刻は15:30を回った。いよいよ残り時間は少ない。最後に室蘭フェリーターミナル[公式]に行く事にした。昨年帰省した際には室蘭からのフェリー便は全滅しており、それに伴い室蘭フェリーターミナルビルも閉鎖されていた。だが今は写真の通りだ。室蘭フェリーターミナル[Wikipedia]を見ると、2023-10-03より津軽海峡フェリー[公式]が室蘭⇔青森便を就航してくれていた。

これは本当に嬉しいニュースだった。室蘭港からフェリーが出ていないという状況は個人的にはとても悲しいものだったからだ。室蘭⇔青森航路が採算ラインに乗ってくれるかは分からないが期待したい。久里浜港辺りから室蘭行きのフェリーが出てくれれば帰省の際に使えるのにと思うのだが、苫小牧港を外して敢えて室蘭港にというのは現実的にかなり難しいのだろうな。

大洗から苫小牧までのフェリー便は出ていたと思うが、横浜から大洗までがまずうんざりするほど遠い上、料金も安くはない[外部]ので、大洗までの旅費を考えると飛行機を使った方がマシなのである。

室蘭フェリーターミナル 二階

自販機も全部入れ替えしたのかな?
待合室からは室蘭港が見渡せる。
角度を変えて再び待合室の写真。
二階の窓から見た津軽海峡フェリー。
車無しだと大人4,000円と安い。
公衆電話、ではなく作業用のスペース。電源もある。

まずはゆっくり二階を見て回った。おれの他にも何人かが見に来ていた。

室蘭フェリーターミナル 一階

これは階段の上から一階のロビーを見下ろした所。吹き抜けの構造になっている。室蘭港発の便は20:00出発で03:00着となっている。7時間だ。まだ時間も早いので待合室にはほぼ人がいなかった。室蘭⇔青森航路が成功するか否かは、今や物流の主役となったトラックがどれだけフェリーを利用してくれるかによるだろう。

室蘭港

車はここからフェリーに乗り込む形となる。
これはフェリーではなく別の船。
湾の向こうに測量山が見える。

最後は室蘭港の岸壁で最後の時間を過ごした。もう日が落ちてしまいそうだ。昨日に家族で行った崎守埠頭での海釣りでもそうだったが、岸壁から下の海面は死そのものである。おれはカナヅチではないが、服を着たままこの時期の海に落ちれば助かるのは難しいだろう。自分のすぐ近くに剥き出しの死が存在するのは恐ろしい。駅のホームも似たような構造だが、あれは電車が入ってくる直前でなければまだ助かる事ができそうだ。

室蘭港を後にしたのは16:00になる所だった。探索を打ち切ろう。

(続く)

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