2023-10-09 北海道帰省5日目 祖父母宅探索

旅行

2023-10-05から2023-10-10まで北海道の実家に帰省をしてきた。これはその際の旅日記である。

なお、昨年2022年10月に北海道に規制した際の旅日記はこちらから。→2022-10-20 北海道帰省

目覚め

10/05に帰省してから遊び続けているので流石に疲れが出たので10:00過ぎまで寝ていた。親父と弟夫婦は朝から市立室蘭水族館[公式]へ出掛けたようだ。おれも行きたかったのだが、ここで無理をして倒れてはいけないと思い今回は自重した。中年男性の体力は乏しく有限である。取り敢えず庭で目覚めの珈琲を飲んだ。

本日で夏季休暇も4日目となってしまった。今日は夜に新札幌駅へと移動し、最終日である明日はそのまま新千歳から羽田へ帰る予定になっている。つまり室蘭で過ごせるのはこれで最後だ。余りにも短い夏休みだった。

実家の庭

2023年はこれで見納めとなる実家の庭の動画を撮った。そよそよと風が吹いている。今回の帰省では初日こそ大嵐に見舞われたが、2日目以降は穏やかな天気が続いたので助かった。普段から積んでいる徳によるものであろう。

祖父母宅探索

午前中は特に予定も入っておらず夜に向けて体力を温存しておきたかったので、母に言われて祖父母の家を見に行く事にした。何か欲しい物があったら持って行けと言う。屋内は壁で区切られているが、外から見ると祖父母宅は実家と接続されている。先程の動画で映っているのが祖父母宅のベランダだ。そのためベランダから中に入った。

居間

居間には既に何もない。

ベランダから居間に入ると何も残っていない。祖母が施設に入ってから久しく、その祖母も前述した通り今年の07/31に92歳で亡くなった。これは奇しくも祖父が亡くなった日と同じである。祖父はまだ62歳だったがB型肝炎に罹って逝去した。長命の家系なので実際ならまだまだ生きられた筈だ。さぞ無念だっただろうと思う。一緒に酒を飲みたかったおれも無念だ。

祖父が生きていた頃(亡くなってからも暫く)は、日曜日の夜に一家揃ってここでジンギスカンやら鍋やらを食べるのが我が家の通例となっていたと思う。大晦日は叔父夫婦が来て、祖父と共に酒を飲んでいた。懐かしい思い出だ。こうして丁寧に昔を思い出す事も供養の一つになるかと思い記しておく。

時計の下の台にはテレビが置かれていたが今は撤去されている。その下の収納には近所の兄ちゃんに貰った表紙のないキャプテン翼[Wikipedia]の単行本が20巻くらいまで入っていた。確か高校編が終わるか終わらないかの辺りだ。アストロ球団[Wikipedia]を描いた中島徳博[Wikipedia]のバイオレンス特急の1巻と3巻もあったが、こちらは叔父がくれたものだ。小さい時は同じ漫画を何度も繰り返し読むので、バイオレンス特急は全部覚えてしまった。シャブをペーと呼ぶ事もこの漫画で知った。

和室

祖父の写真が飾ってある。
何もかも皆懐かしい。

居間の隣は四畳の和室になっている。襖で仕切られていた記憶があるが襖は既に撤去されていた。

おれが小学校の頃、土曜日はまだ半ドン[Wikipedia]であり午前中まで授業があった。そして土曜日の夜は祖父母の家で20:00から弟と8時だョ!全員集合[Wikipedia]か風雲たけし城を見てから泊まった。日曜の朝は甘いミルクコーヒーを飲みながら名犬ラッシーか戦隊モノを見るのが常だった。特捜エクシードラフト[Wikipedia]辺りまでは覚えている。

調べると風雲たけし城は金曜日の放送となっている。記憶違いだろうか?それとも北海道は土曜放送だったのか?

押入れ

何を書いたのか分からない落書きがある。

和室の押し入れの中には謎の落書きがある。これはおれが弟と書いたもので、当然だが祖父にこっ酷く叱られた。何歳くらいの頃だったかは思い出せずかなり記憶が曖昧だが、普段は孫にベタベタの祖父に強く叱られた事だけは微かに覚えている。30年以上経っても未だに消えていないので叱られるのも当然だと思う。

台所と風呂

この台所はたまに夢に出てくる。台所と居間を区切っている台の上には小引き出しが置かれており、その中には兄弟三人分の封筒とお小遣いが入っていた。これは毎月補充されるのだが、欲しい物があるとよく小遣いをせびりに来ていたのを思い出す。

風呂にはバブルスター[Google]があった。同年代の方は、山城新伍や梅宮辰夫が出演していたCMを覚えているのではないかと思う。原ヘルス工業[Wikipedia]を見ると現在も細々と販売中との事だが、2023年でも扱っているかは不明だ。

廊下

蕎麦が積まれている。

玄関に繋がる廊下に出ると蕎麦が山のように積まれており面食らった。親父の貯蔵庫だろう。この廊下もたまに夢に出てくる。昔はここにダイヤル式の黒電話が置いてあった。弟が2歳の時に腕の骨を折った際、その黒電話から救急車を呼んだ遠い記憶がある。無論、今ではその電話はもうない。

階段

手すりが取り付けられている。若干狭い。
二階から階段を見た所。
この丸い明かりは昔のままだ。ガラスが懐かしい。

次は二階へ向かうため階段を登る。古い階段なのでおれが歩くとギシギシ鳴った。記憶ではおれが子供の頃にはこの手すりは存在しなかった。祖母が歳を取ったので後から追加したのだろう。

3枚目の写真の窓ガラスは所謂昭和レトロガラスである。懐かしいな。

祖父の部屋

階段を登った突き当りが祖父の部屋である。祖父が亡くなって四半世紀以上が経つので何も残っていない。

この部屋の思い出は主に以下の2つがある。

地獄の本

この部屋には祖父が使っていた机があり、机の引き出しには何故か地獄の本が入っていた。恐らくこれ[外部]ではないか?と思うが正確な所は今となっては分からない。とにかく子供が読むには刺激が強かったので覚えている。

PCエンジン SUPER CD-ROM2で天外魔境Ⅱを遊んだ

SUPER CD-ROM2[Wikipedia]は弟が買って貰ったものである。詳細な話の流れは覚えていないが、弟が室蘭一の進学校である室蘭栄高校[公式]に入学した際、最初の学力テストで一位を取ったら買ってあげるという話になり、その結果として購入されたものである。実際に一位を取る弟も約束を守って買った両親も大層偉いと思う。
さて実家のテレビにはスーパーファミコンが取り付けられていたため、SUPER CD-ROM2は祖父の部屋のテレビに接続され、それで天外魔境Ⅱ 卍MARU[Wikipedia]を遊んだ。オープニングで動画が動き音声が再生されたので、弟とすげえすげえと言った記憶がある。最終的にクリアできたかどうかまでは覚えていない。

祖母の部屋

こちらの箪笥は木目がやたらと渋い。

最後は祖母の部屋である。とはいっても祖母は一階で過ごす事が多かったので、この部屋は基本的に空きスペースだった風に思う。年代物の箪笥が置かれている。これで一通り探索は終わった。思い出を辿れて満足した。

昼食

マンホールカード

開通20周年を記念し、夜空に煌めく白鳥大橋の夜景をデザインしました。1998年6月に開通した白鳥大橋は橋長1,380m、東日本最大の吊り橋となります。また、橋に施されたイルミネーションやライトアップにより、白鳥が羽根を広げているかのような幻想的な姿を演出し、2008年に「日本夜景遺産・ライトアップ遺産」に選ばれました。

これまで、まちと人をつないできた白鳥大橋は、室蘭が自信を持って誇れる観光スポットで、市内のほとんどの場所から眺めることができます。橋の名称は、昔、室蘭に白鳥がたくさん飛来し、室蘭港が「白鳥の澗」とよばれていたことに由来します。

市立室蘭水族館から引き揚げてきた甥っ子がマンホールカードを見せれくれた。ダムカード[Google]は存在を知っていたが、マンホールにもカードがあるとは全然知らなかったな。調べてみると各自治体で配布しているようだ。

マンホールカード検索

昼食

ナポリタン。旨かった。

昼食には父がナポリタンを作ってくれたがこれが実に旨かった。休みの日の昼飯はよく父が作ってくれた気がする。

昼食を終えると弟一家は札幌に移動した。お疲れ様でした。

おまけ

石化させられたうさぎ。
まだ猫グッズがあった。

さて、おれが室蘭に滞在できるのもあと数時間を残すのみとなった。その前に行き所のない写真を載せておく。

(続く)

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