2022-10-20から2022-10-26まで北海道の実家に帰省をしてきた。これはその際の旅日記である。
- 2022-10-20木:羽田空港→東室蘭
- 2022-10-21金:東室蘭→赤井川 / 山中牧場→小樽 / 余市→倶知安→東室蘭
- 2022-10-22土:望洋台霊園→パークゴルフ→回転寿司
- 2022-10-23日:イタンキ漁港→イタンキ浜 / 輪西稲荷神社→母恋駅→室蘭港 / 室蘭市民族資料館 / ほくよう→幌別
- 2022-10-24月:白鳥大橋記念館 / 白鳥大橋記念館→中島町
- 2022-10-25火:地球岬→海鮮丼→ジンギスカン
- 2022-10-26水:東室蘭観光 / 東室蘭観光 / 東室蘭→新千歳空港
室蘭市民族資料館 外観
もう少し時間があれば、懐かしの入江運動公園陸上競技場を見て回ろうと思ったのだが、本日の最終目的地である室蘭市民俗資料館が16:00までの営業だったので、今回は諦めた。空の陸上競技場へ行ってもノスタルジー以外の意味は無い。
おれは高校生の時は陸上部だったので、大きな大会は入江運動公園陸上競技場によく行ったものだ。
カーナビに従って運転し無事到着する。駐車場には、職員のものと思われる車しか止まっていない。
平日の夕方に民俗資料館に来る物好きは少ない。
「本邦国策を北海道に観よ!」という文言に歴史の重みを感じる。
鉄要素。レールがピカピカだ。錆びないのだろうか?
大きな展示物は、このように外に配置されている。
木製のそりは腐りそうなものだが大丈夫なのだろうか。素人が心配する必要は無いか。
室蘭市民族資料館 一階
資料館入口。先日行った小樽の旧青山別邸と同様に、ここにもゴールデンカムイのポスターが掲示されている。
室蘭市民憲章。昭和47年8月1日制定とのこと。これはいつから貼られているのだろうか。
全文はこちら。
わたしたちは、白鳥湾の美しい自然のなかで、たくましく発展している港湾と商工業のまち、室蘭の市民です。
わたしたちは、このまちを愛し、市民であることに、誇りと、責任をもち、さらに、豊かな未来をめざし、ここに市民憲章を定めます。
1健康で働き、明るく楽しい家庭をつくります。
1老人をうやまい、子どもの夢をはぐくみ、あたたかい心のかようまちをつくります。
1自然を愛し、環境をととのえ、緑豊かなまちをつくります。
1のびゆく港と、産業を育て、未来を開く希望のまちをつくります。
1きまりを守り、教養を深め、文化のかおりあふれるまちをつくります。
https://www.city.muroran.lg.jp/main/org3210/shiminken01.html
教育勅語が収められていた奉安庫が入口に飾ってある。中々ロックだぜ。
レプリカとの説明が無いので現物っぽい。
巨大な航空写真が飾られている。点線で示されているのは埋立地。昭和43年まで行われていたらしい。
以前(2013年)に親父と来た際に一緒に見たが、祖父が建てた実家が写っているのを確認できた。
民俗資料館ってホント良いよねえ。
左側の写真のジューサーは、祖父の家(実家の裏だ)に同じものがあった記憶がある。
おれは昭和53年生まれなので、既に記憶の中の物がこうして資料として収められていてもおかしくはない。
世の中は知らない事だらけだ。
「室蘭市金庫」の看板が渋い。余りにも良過ぎて独りで失禁しそうになっていた。
金属の看板が持つ質感に弱いのだ。
昭和35年頃の品とのこと。昭和53年生まれなので、この辺りは流石見た記憶が無い。
ワープロかな?実家ではワープロは文豪を使っていた。おれが最初に触れたキーボードは文豪だった。
その他色々。至る所に「手を触れないでください」の表示がある。子供は何でも触るからな。
多くは特別な品ではなく生活の中で当たり前に使われていた物の筈だが、それらが年を経ても処分されずに今でもこうして集約され現品が保存されている事に意味がある。資料館は素晴らしい。
小学校には各教室にもう少し大型の石炭ストーブが備えられており、石炭を運んでくるのは生徒の仕事だった。校舎の一階には石炭の貯蔵庫があり、そこから金属のバケツ(だったかな?)に入れて運んでくる。子供が持つには中々重いので当番が二人で運ぶ決まりになっていた。
いや、なにぶん小学生の頃の記憶なので、実際はこのサイズだったのかも知れない。もう確かめようもない。
なお、コークスは小さい缶で用務員さんから貰う運用になっていた。今の小学校もそうなのかな。
室蘭市民族資料館 二階
二階へ。階段の横の壁にはまた大きな航空写真が飾ってある。
相変わらずおれ以外の観覧者はおらず、館内はとても静かだ。
恐らく永遠に解読されないであろう線文字。ロマンの塊だ。
こんな遺物が発掘されていたなんて全然知らなかった。常設展には何度も来ている筈なのだが記憶に残っていない。
明治2年に蝦夷地は北海道になった。
これの装備で開拓とか正直無理ゲーですわ……。ご先祖様は良くやったよ。
屯田兵の入植の歴史。明治20年と明治22年の二回にわたって屯田兵を迎え入れたとの事。
中央に押印してあるのは国璽?きちんと現物が残っているのは凄いな。
鉄要素。
明治33年。この辺りになると生活調度品も中々豪華になってくる。
船みこし
珍しい舟形のお神輿が展示されてる。説明を読んでみる。
伊丹来稲荷神社は、先程行ったイタンキ漁港の近くにある山の中にあったと思う。以前に参拝した記憶がある。
こんな祭りがあるとは露とも知らなかった。また行ってみよう。
こういう戦争当時の現物を見るととても怖い。圧倒的な現実感に打ちのめされる。
当たり前の事だが、「それ」はお話ではなく本当にあった事なのだ。
父方の祖父は赤紙が届いて直ぐに終戦となったので戦地に行かずに済んだが、岩手の母方の祖父は徴兵されて戦地で死んだ。そのため、おれは母方の祖父の顔を若い時の写真でしか知らない。
軍港である室蘭は米軍によって艦砲射撃を受けた事もあり、小さい頃に体育館で戦争を描いたアニメ映画を見せられた。それも当時はかなり怖かったが、今こうして戦争の頃の品を見る方がずっと怖い。
閉館時間(16:00)が迫っていたので後半は駆け足になってしまったが、一通りの展示物を見て回る事ができた。
博物館は本当に素晴らしい。日記によると、室蘭市民族資料館はこれが三度目の来館になるが、良い小説を読むように毎回新たな発見がある。常設展はそう大きく変わっていない筈だが、見ている側が変わっているので感じ方が変わる。
駐車場に出ると時雨れていた。寒い。暗くなる前に家に帰ろう。