2023-10-05から2023-10-10まで北海道の実家に帰省をしてきた。これはその際の旅日記である。
- 2023-10-05木:羽田→新千歳→東室蘭
- 2023-10-06金:東室蘭→豊浦→八雲 / 八雲→鹿部→函館 / 函館観光初日 / KKRはこだて
- 2023-10-07土:KKRはこだて→函館元町 / 旧函館区公会堂→五稜郭 / 北海道立函館美術館→長万部→室蘭
- 2023-10-08日:室蘭中島公園 / 崎守埠頭で海釣り / 虎杖浜温泉ホテル→幌別
- 2023-10-09月:祖父母宅探索 / 室蘭独り観光 / 東室蘭→新札幌
- 2023-10-10火 :(最終日)新札幌→新千歳→羽田
なお、昨年2022年10月に北海道に規制した際の旅日記はこちらから。→2022-10-20 北海道帰省
朝の東室蘭
ぐっすり眠って09:30頃に起きた。年老いた両親のみが暮らす実家基準に於いて、これは到底許容されないレベルの朝寝坊だが眠いものは眠い。帰省した翌日の朝から200km近く離れた函館まで観光に行った事もあり、回復しきれない疲労が溜まっている。函館まで往復で運転したのは実際は父でありおれはただ助手席に座って喫煙所を血眼で探してただけだが、慣れない場所に行くと脳が勝手にフル回転するのでそれに応じて疲れは感じる。
蕎麦打ち
今日は午後から弟夫婦が甥っ子二人を連れて来る事になっていたので、そこを目掛けて親父は朝から蕎麦を打っていた。おれが起きてきた頃は正に蕎麦打ちはクライマックスを迎え、薄く広げた蕎麦を切断し麺の形が出来上がろうとする所であった。
朝の庭
取り敢えず朝の一服をするためにパジャマの上から綿入れを羽織って庭に出た。冷えてはいるが今日も良い天気だ。嵐に遭遇した初日以外は晴れの予報が出ており今朝もその通り晴れだった。室蘭でこれだけ晴天なのは珍しい。雲も霧も無い気持ちの良い日だ。冬は直ぐ側まで近付いている筈だが、庭にはまだ緑が広がっている。
実家を出て一人暮らしを始めた後、冬の室蘭にどのくらい長い間訪れていないのか思い出せない。そのため、冬になるとこれらが枯れ果ててしまうのかどうかも思い出せない。結婚する前は長い休みの度に帰省していたので正月休みも室蘭に帰ってきていた筈だが、それは少なくとも2005年以前の筈である。人間は何でも忘れてしまうものだ。
朝食と珈琲
朝日を浴びながらゆっくりと朝食を摂る。実家での朝食は目玉焼きとほうれん草のおひたしが定番だった記憶があるが本日は鮭の切り身だった。今日は昼に先程親父が打った蕎麦を鱈腹食べる予定だったので米は少なめにした。
食事の後はマグカップを持って再び庭に行き煙草を吸った。こうして夏期休暇3日目が始まった。
東室蘭→新札幌
前述の通り今日は午後から弟夫婦が来て、夜は高校時代の友人と会い昨年同様どこかの温泉に行く約束になっている。そして明日10/09の夜は新札幌に移動してTwitterの知人と酒を飲む予定であり、その翌日10/10には新千歳空港から羽田空港に移動しそれっきりで休みは終わりだ。明日の電車を調べていると「明日だって?!」とギョッとした。余りにも短い夏休みだ。
その短い休みにあって、今日の午前中だけは何も予定が入っておらず贅沢に無聊を託つ事ができる。調べ物をしたりするためにノートPCを持って来ていたので、実家の無線LANに繋いで少し日記を書いた。函館旅行2日目の日記の一部は実家で書いたものである。だが、30分もすると途中で飽きてしまった。旅日記は帰宅してから幾らでも書けるが室蘭に滞在できるのは明日の夕方までだ。貴重な残り時間をこんな益体もない行為に費やしている場合ではないと自分に言い訳して出掛ける事にした。
実家の写真
出掛ける前に実家の写真を何枚か撮ったので載せておく。2枚目の写真に写っている日焼けした籐の椅子は恐らくおれが生まれた頃からあったと思うのだが、どのくらい古い物か正確な所は分からない。3枚目の写真はおれが実家に居た時に住んでいた部屋であり、現在は両親の寝室となっている。写真の通り眺めの良い広い部屋で、当初は弟と二人で使っていた。弟が無事に北海道大学に合格して家を出た後もおれはまだ実家から通える室蘭工業大学[公式]に通っていたので、最終的におれが独立して家を出るまでの暫くの間はこの広い部屋を一人で使っていた。大学の時にはすっかり喫煙という悪癖に浸っていたので、この部屋の窓を開けて煙草を吸っていた覚えがある。
窓の下には広い収納があるがそこは全て漫画で埋まっている。半分程度は処分した筈だがまだかなりの量が残っている(筈だ)。おれはこの収納の中の漫画を整理しようとして途方に暮れる夢をよく見る。
実家の猫
昨日の函館旅行で手酷い裏切りに遭ったと思い込んだ猫は納戸の安全な寝床に潜んでいた。目も合わせてくれない。
実家の猫グッズ
これは実家の猫グッズの一部である。以前にはもう少しあった気もするが、一時期「終活」の掛け声により粛清の嵐が吹き荒れかなり荷物を減らしたらしいので、これでも減った方なのだろう。
見ての通り本棚には長谷川町子のサザエさんが全巻揃っている。文庫化するにあたり、メクラでツンボの乞食が出てくるようなモロアウトの表現があるドギツいエピソードは削除されている筈だが、それでもおれが大学生だった当時の価値観でもこれは許容されないだろうという作品も幾つか収録されていた記憶がある。例えばマスオが「たまには贅沢をするか」と言って煙草を一口だけ吸って吸殻をポイ捨てした後、四コマ目で「ここで振り返るのが泣ける」と自分のセコさに恥じ入るというものだ。これは令和の世であればTwitterで大炎上し正式に謝罪文を出す流れまでが容易に想像できる表現であろう。
繰り返し読んだので前はアニメのサザエさんを少し見ると元ネタの四コマが全て分かったものだが、最近は更に煮沸消毒された内容になっているに違いなく同じ事をやれる自信は無い。そもそも新聞の四コマ漫画を読み解くためには当時の社会情勢に対する知識が少なからず必要で、それが足りないと作品に描かれた風刺を正しく理解できないのだ。それを延々と薄く引き伸ばして国民的アニメとして放送し生かし続けるのは不自然を超えたグロテスクさを感じる。
中島公園野球場
一通り写真を撮って気が済んだので、弟一家が来るまで近所の公園を歩く事にした。
室蘭中島公園へ
写真の通り爽やかな日だ。こうして日記を書いていると、午前中は親父に車を借りてどこか近場へ出掛ければ良かったかなと思うが、自分は運転していないが車は昨日までで些か乗り飽きている所だ。自分の足で歩くのも良しと思ったのだろう。
この時は気付かなかったが、写真を見返すと歩道のブロックがボロボロになっている。近くに小学校があり通学路にもなっているのにも関わらずこの有様だ。人口減が続く室蘭市は財政的に苦しいのだろう。物心付いてから暫くの間、この歩道には石の板が渡されて下水が流れていたと思う。いつ頃までだったかは覚えていないが、小学校からその石の板の上を歩いて帰った記憶がある。小学生の頃の思い出は六年間が圧縮されて記憶されており、今ではそれを正しく見分けるのが非常に困難だ。
球場裏口
入口から左に折れると球場がある。今日は野球の試合が行われているらしく裏口のゲートが開放されていた。行ってみよう。
球場内
観客は疎らである。恐らく選手の家族なのであろうと思う。先程「ゲートが開放されていた」と書いたが、普段から開けっ放しだったような気もする。何故なら小さい時にここの球場の観客席で遊んだ記憶があるからだ。あの頃は近所に遊ぶ場所が無数にあった。然しこんな所で一体何をして遊んでいたのだろう?
試合の様子
何となくiPhoneのカメラで動画を撮っていたら打ったが出塁はできずスリーアウトとなったようだ。
おれは小学生の頃に少し野球をやっていた時期があったが、所謂野球部ではないと思う。確か5年生(4年生だったかも知れない)に上がった際に学校でクラブ活動という営みが始まり、特に何も考えずに野球クラブを選んだのである。こういう時におれは深く考えずに軽はずみな決定をしてしまう傾向があり、成人した今でもその悪癖が完全には抜けていない気がする。直感的にではなく、特に何も考えていないのだ。なお野球に対して特に面白さを感じなかったので次の学年では別のクラブにした。なお次はイラスト部にしたが未だに全く絵心は無い。いかに適当に物事を選んできたかという事がよく分かる。
室蘭中島公園散策
野球にはほぼ興味が無いので中島公園野球場[Wikipedia]を後にした。写真を撮りながらゆっくり移動する。取り壊しが決まっている室蘭体育館はまだ残っていた。てっきり昨年の夏休みで見納めかと思ったが、まだその巨大な姿を現世に留めていた。これだけの巨大な構造物を安全に取り壊すには時間も金もかかる。来年もまだ残っていそうだ。特に大きな問題が起きない限りはこのまま放置されている気がする。仮に浮浪者が住み着いたりしてもそれが何だというのだ。
室蘭中島公園で検索[Google]すると、室蘭市が作成したものらしい検討資料[外部]が出てきた。最短でも取り壊しは令和6年になるようだ。資料を見ると民間から何か案を出させたいようだ。
室蘭中島公園を歩く
公園には散歩道があり、道に従って歩くとぐるりと公園を一回りできる構造になっている。園内にはそれなりに大きい樹木が多いのが見て取れる。祖父がまだ生きていた頃、この公園で弟と祖父でそり遊びをした事を覚えている。1枚目の写真の左側が丘になっているのだ。子供の頃はもっと室蘭も雪が積もった気がするが、何せ小さい時の話なので、当時と比べて本当に雪が減ったかどうかは分からない。庭でかまくらを作った覚えもあるのだが。
ひょうたんプール
散歩道に沿って歩くと小さな池がある。冬の時期は水を出していないのだろう、雨水が溜まっただけの沼のようになっている。おれが小さかった頃の話だが、ここにはひょうたんプールという名の子供用プールがあった。木造の小屋に近いものだが何とか使える程度の更衣室があり、近くの幼稚園に通っていた時にはここで夏に水遊びをする事ができた。
室蘭めぐみ幼稚園という名だが、調べてみると2006-03-31に閉園となったようだ。10年以上前に園長先生が亡くなった後に取り壊され、現在はもう跡形も無い。その跡地には老人養護施設が建てられている。
実家から幼稚園まで通う際にはそのひょうたんプールの脇を通る形になるのだが、母と弟が入園式で幼稚園に行った帰り道、更衣室に捨てられていた子猫を拾ってきた。何せ遠い昭和の時代の話である。当時はまだ捨て猫が当たり前のように発生していた。まだおれの妹が生まれてくる前の話だ。その猫はずっと長生きして家族と共に20年近く生き、おれが大学生の時に死んだ。
公園の石垣
再び幼稚園の話を書く。何かの拍子で思い出せる時に文にして残しておかないと、二度と思い出せなくなるかも知れないからだ。帰省するとこうしていつも過去の自分と向き合う事になるので旅日記が長くなる。
動画には石垣(コンクリだと思うが適切な呼び名が分からない)が映っているが、これは先程立ち寄った中島公園野球場を取り囲んで設置されている。球場なので石垣の上には金網が張ってある。昔は散歩道には外側と内側の2つのルートがあり、内側はこの石垣に沿って整備されていた。今では内側のルートは取り潰されて完全に草に埋もれてしまっている。
室蘭めぐみ幼稚園では定例のマラソン大会があり、年少組は内側、年長組は外側のルートを走る事になっていたのでよく覚えている。三年保育(三歳から入園する場合)も可能だが、三歳児の場合は免除されていたかも知れない。他にはお泊まり会があって、ムーミンの映画を観た記憶がある。昭和の陰鬱とした雰囲気のムーミン谷の話だ。
他に2つネタがあるのでここで供養しておく。
- 幼稚園での初恋の話
流石に記憶が曖昧なのだが、幼稚園での初恋相手の名前はまやという名前の女の子だった。漢字が分からないので摩耶なのか麻耶なのか、それとも片仮名のマヤなのかはもう永遠に分からない。卒園式の時に「あっ、もしかして、もうこの子には二度と会えないんじゃないか?」と思った事だけ覚えている。マセた餓鬼である。 - 粘土の棒が口の中に刺さった話
幼稚園では油粘土を使った授業があった。油粘土のセットには、粘土を加工するための器具としてヘラや棒が付属している。事件の前後を全く覚えていないのだが、恐らく棒を持ったままふざけて走り回った際に転んだか何かしたのだろう。口の中に棒が刺さり、おれの口の中にはその時の傷がまだ残っている。舌で触ると今この瞬間でも傷痕を確認できる。
散策終了
沢山写真を撮ったのでやたら多い。別に全てをここに載せる必要はないのだが、何となく勿体無いので供養として載せておく。
写真には遊具が写っているが、これは公園の大規模な改造が行われて内側のルートが潰された際に設置されたものだと思う。時期的にこの遊具で遊んだ記憶は無い。おれの記憶では、かつてのひょうんプールはこの辺りまで広がっていた筈だ。何せ幼稚園児とはいえクラスの全員が遊べるサイズのプールである。
標識にはゲートボール場とあるが、ゲートも設置されておらず現在では使われている様子はない。一時期やたらとゲートボールが流行った記憶があるが最近はどうなのだろう。少なくともここを使うような年寄りは皆死んでしまったようだ。
帰り道
帰宅したのは11:56だった。午前中が終わり、2023年の夏休みもいよいよ終わりに近付いてきた。